
BS-TBSの「ヒロシのぼっちキャンプ」という番組は、ヒロシがひとりでキャンプをするところをただ撮影する番組である。2018年に始まったということなので、2026年現在で7年以上続いている、まぁまぁの長寿番組である。私はキャンプなぞというものは、小学校の山の学習以来やったことがなく、どちらかというとインドア派なのだが、なぜかこの番組はつい見てしまう。ヒロシが全国のいろんなキャンプ場へ行って、毎回同じように買い出しをし、焚火をし、キャンプ飯を食べるというもので、自分でも一体何が面白いのだろうかと思ってしまう。妻などは、私がこの番組を見ていると、”またキャンプの番組見て、何がおもしろいの?”的な目で見ている雰囲気を感じる。
なぜ見てしまうのかと考えてみると、多分、森の中で静かに燃えている焚火のゆらめきや、 小川のせせらぎ、夜、黒々とした木々の間から見上げる夜空のシルエット、葉っぱのざわつく音など、自然の風情が心を癒しているのではないかと思う。いわばキャンプ本来の魅力。ヒロシのしょうもない喋りは、それはそれでよいとして、映像の良さがキャンプの魅力を伝えているという側面はあると思う。
しかし先日、ふと、「ヒロシって毎回同じことしてるよな」と思って、別の面に気が付いた。そうか、毎回同じことをしているということ自体に魅力があるのではないか。同じことをしているが、毎回違うキャンプ場で、毎回違う食材を火にかける。でもやってることは毎回同じ。同じだからこそ、場所や季節、食べるものの違いに妙味を感じる、その構造のおもしろさが番組の魅力なのではないか。むしろ、毎回同じだからこそ安心して違いを楽しむことができる。
あるスタイルがあって、そのスタイルに沿って毎回違う中身がある。そういうものは世の中に結構多い。水戸黄門と言わなくても、テレビ番組というのはほとんど全て、スタイルが決まっていて、中身だけが毎週違っている。トークバラエティ、クイズ、旅番組などスタイルの決まってない番組は一つもない。
テレビ番組だけでなく、スポーツも全てそうだ。野球などわかりやすい典型例で、1回から9回まで、 守備につき打席に入るという同じことを繰り返す。やっていることは同じだが、選手は毎回違って、プレーはそれこそ予想もつかない展開となり、毎回ワクワクする。やっていることが同じだからこそ、個々の選手のプレーの違いを楽しめる。スタイル=ルールがあってこそ安心して試合を楽しめる。テニスでも、ゴルフでもまったく事情は同じ。自分でやる場合は、同じことをやらなければ上達も実感できない。
そんなこと言えば、世の中の全てのことが、この枠組みにあてはまると思えてきた。毎日の生活は、毎日同じことを繰り返しているけど、その内容は毎日違っている。毎日同じように歯磨きをするけれど、今日は歯の間にエノキがはさまって糸ようじで取るのに苦労したとか、いつも乗る電車は同じだが、なぜか今日は空いていて座れてラッキーとか。毎日の食事でも、料理して器に盛り付けて食べるというスタイルは毎回同じだが、食材も味も毎回違っていて、その違いを楽しんでる。その他、芸能でも、漫才や能なども同じスタイルで中身の違いを楽しむという観点がぴったり当てはまる。
これまで「スタイル」と呼んできたが、これを「器」と呼ぶとしっくりくる。世の中は器と中身でできている。あたりまえのことを言っているような気もするが、そうやって世の中を見てみると、今、AIの時代で、世の中の器自体が変わりつつあるように感じる。今までの話の流れだと、器が変わると中身の違いを楽しむことができなくなるように思われるかもしれないが、でも、器自体が変わっていくとしても、新たな器を愛でるのも、またよいはずだ。そんな器の大きな考え方をしたいものだと思う。
2026.3.20.金
画像:例によって以下のプロンプトでAIに描いてもらったもの。今回はGeminiの方が良い感じだった。
「”ヒロシのぼっちキャンプ”というテレビ番組がある。この番組をネタにしたブログ記事を書こうと思っている。このブログ記事用に、森の中で静かに焚火が燃えているような、心癒されるアイキャッチ画像を描いて。写真のような画像より、感じの良いイラスト風にしたい。」
右上に「ヒロシのぼっちキャンプ」という文字が入っていたので、「Adobe Expressで画像を編集」ボタンで文字を削除できた。以前はそんなボタンなかったので、日々便利になってることを実感。

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