境界考・その4 〜 季節の境界

 枕草子といえば、日本の随筆文学の最高峰と言われていて、春はあけぼの、の書き出しは普通の教養ある人なら誰でも知っている名文だろう。言葉の流れもよくて、ほぼ全文を諳んじている人も結構いるのではないか。私が覚えている限りでも、喋り言葉風で申し訳ないが、「春はあけぼの、ようよう白くなりゆく山ぎわ少し明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる。夏は夜、月の頃は更なり、闇もなお蛍の多く飛びちがいたる、」ぐらいまでは出てくる。その後、秋は夕暮れ、冬はつとめて、と続く。さすがに、全文は覚えてない。

 先日、9月の初旬のある日、会社から帰る電車から、ぼーっと外の景色を眺めていたとき、暮れなずむ街の景色が、なぜかしみじみとして、心が動いた。沈む間際の夕日に照らされて、アパートや家々の壁、遠くに見える山の斜面がオレンジ色に染まっていて、なんだか今までになく良い景色に見えた。今風の言葉を使うと、エモい感じがした。いつも見ている風景なのに、なぜ心が動いたのだろうかと考えているうちに、その理由は、夏の終わりに感じる、そこはかとない、秋の気配のせいではないかと思い至った。

 毎年猛暑の記録を更新しているようなここ数年、9月初旬はまだ連日猛暑日が続いているのではあるが、朝夕はほんの少しだけ涼しさを感じるようになってきた気がする。昔、まだ若かった頃の夏は、お盆が過ぎれば、暑さも一息ついて虫の声などが秋の訪れを感じさせたくれたものだが、ここ数年は、お盆どころか、9月も中旬だと言うのに、最高気温が35度を超えていたりする。それでも、電車から見えたオレンジ色の街に、そこはかとない秋の気配を嗅ぎ取って、それが心を動かしたのではないかと思う。夏と秋の季節の境界にある景色の色、それが、あの夕日のオレンジ色だったような気がする。

 清少納言は、春夏秋冬のそれぞれの季節の良さを格調高く綴り、1000年経った今でも多くの人の共感を得ている。でも、本当の季節の「をかし」みは、それぞれの季節そのものよりも、むしろ季節と季節の間の移り変わりにこそあるのではないか。春の盛り、夏の盛りの風情は、それはそれで良いものではあるが、春と夏の間のむっとする緑濃い感じ、晩夏の夕暮れ時に、ふと秋の気配を感じる街のオレンジ色にこそ、心動かされる移り変わる季節の妙がある。ちなみに、冬の終わり、日差しには温かみが出てきたが、まだ空気には冬の冷たさがある時期の、凛とした感じの日も結構好き。

2025.9.15.月 敬老の日
自宅・コワーキングスペース・公園の日陰と場所を変えながら書いた。
まだ真夏の暑さで、あまり外にいるのは危険な1日。
画像:カドカワビギナーズクラシックス(文庫本) 枕草子の表紙

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