2024/04/14

境界について考えていて、過去に自分がこのブログ記事に書いてきたことを見直してみると、その多くは何らかの境界や「間」に関するものが多いことに改めて気がついた。自分が考えてきたことは、何かと何かの間にあるもの、対立的でありながらその境界が曖昧なものに心惹かれてきたのだった。
自然と人工の間では、里山とか庭園などについて、自然物でありながら人工的に作られたものであって、自然と人工の間にある存在であるとか、似たような話で、ゴルフというスポーツについて、人工的な環境でプレーするバスケやバドミントンのようなものと、自然を相手にする登山やサーフィンのようなスポーツのちょうど中間に位置するもので、人工的に作られた自然の中でプレーするところに面白さがあると考えたりした。
オンラインについての記事では、オンライン技術がオフラインをめざして、その間を埋めてきことと、自分にとってはリアルな対面より、現在のオンライン技術程度のバーチャルさ加減が心地よいと書いていたり、類似の話題で、メタバースでのアバターという身体的なものと、リアルな身体感覚の間に思いをはせたり、バーチャル世界の通貨とリアル世界の通貨の互換性から、通貨の本質的な仮想性に思い至ったりした。
他にも、DIYとアートについての記事では、茶碗や食器について、陶芸家が作る芸術作品もあれば、趣味としての陶芸で作ったDIY作品もあり、DIYとアートの境界は曖昧だという気付きを綴っているし、サイエンスとアートの間にも、論理的・直観的などの対立的な概念もあるが、美しさを感じるという共通点や、世の中の理解を深めるための相補性があるなどと、その間の関係についてAIに教えられたりした。
境界領域に横たわる何かについて考えたくなるのは、自分だけなのか、他の人も同じなのだろうか?。多分、人間に共通する思考パターンのような気がする。何といっても、人間とは、人と間でできているのだから。そう考えると、このシリーズのタイトルは、境界考より「間考」としたほうがよかったかもしれない。いや、間と言うとセリフの「間」やお笑い芸人の「間」、音楽の休符とか、時間的な概念がより強い言葉のような気もする。やっぱり今考えているのは境界考でよいのだろう。「境界」と「間」の間にあるものについても、おいおい考えてみようと思う。
2025.3.29.土
写真:Adobe FireFlyに「境界」のイメージを描いてもらってGimpで修正した、AIとの合作・オリジナル画像