2024/04/14

まず、私の性格だろうが、無為な時間に罪悪感を感じる、というやっかいな性向がある。多分、私だけでなく私の同世代には、同じように感じる人が多いのではなかろうか。思うに、高度経済成と伴に少年時代を過ごした私たちの世代は、「時間を大切に」「いかに短時間に効率よく作業をこなすか」みたいなところが染み着いている人の割合が高いように思う。時間を大切にすることは悪いことではないが、行き過ぎると、瞑想を楽しめない人になってしまう。時代のせいだけではなかろうが、時代が性格を助長した面もあるように思う。
次に、瞑想しようと思うと、それなりにエネルギーが要ると言うことが続かないもう1つの原因であろうと自己分析する。もっと気楽にボーッとすればよいのだろうが、それがなかなかできない。静かに座るということは、どうしても自分と向き合うことになる。私の場合、考える対象は、何かモノであったり、アイデアであったり、解けそうで解けない問題であったりすることが多く、自分というものや、ココロに関してあれこれ想うことは、どちらかと言うと苦手な人間である。だからこそ、自分や他人の気持ちに気付くことの大切さに目覚めて、日々精進しているのだが、瞑想はまさに、否応なく自分と向き合う時間になる。人間だれしも、苦手なことをするときはエネルギーが要るものだ。逆に言えば、そのことに気づけたのだから、ラッキーと思った方がよいのだろう。
できない理由を並べるのは本意ではないので、どうしたら気楽に瞑想できるかという方向で考えてみたい。多分コツは、瞑想だと思わないことだろう。ただ、フーッと息をつき、しばらくボーッとしてみること。起きている間中頭と体をレディな状態にしておくことをやめること。1日の中で、目覚めた状態のままスイッチをオフにする時間を短時間でもよいから作ること。それだけのことなのだと思う。それに慣れてくれば、その時間を延ばせばよいし、逆に達人になれば、例え1分間であっても深くリセットできるようになるのかもしれない。
心を鎮めるという意味で、ヨガや太極拳と言った活動は、とてもよい習慣だと思う。単に座るといった無為的な感覚をなくしつつ、ゆっくりと身体を動かし、呼吸に意識を集中することで、自然と心が鎮まってゆく。とても優れた心身のコントロール術だと思う。私も、DVD付きの市販本を参考にして、ヨガや太極拳を見よう見まねでやったりするが、きちんとよい先生に付いて学んでみたいものだと常々思っている。瞑想をしてみようと思ったのと全く同じ動機からである。ヨガを楽しめるような余裕のある生活をしたい、私の現在のささやかな願いの一つである。
2011.8.26(金)
写真:私の購入した本の表紙。HIKARUさん、ナチュラルでいいネ!