2024/04/14

先日スマホを買い替えて、amazonでスマホ用のケースを買ったのだが、届いたケースを持ってみると、思ったより表面がツルツルしていて持ちにくかった。amazonのサイトで見たときには、ある程度ザラザラしていて持ちやすそうに見えたので、ちょっとショックだったが、気を取り直してDIYすることにした。アイデアは単純で、粗い紙やすりをかけて傷を付ければザラザラになるはず。やってみると目論見通りで、格段に持ちやすくなった。毎日使うものを自分好みにカスタマイズするのは、DIYの基本、よい工夫ができたと一人で悦に入っていた。
その反面、新品のスマホケースにわざわざ紙やすりで傷をつけるなんて、普通はしないし、見た目も使い古したようになって、新品なのにちょっと悔しい気がしたのだが、待てよ、世の中にはユーズド加工ジーンズを愛する人もいるじゃないか、と気がついた。自分自身は、ジーンズは新しいほうが好きで、シワを付けたり穴をあけたりしたものの良さがいまいち分からなかったのだが、新品のケースにわざと傷をつけて、それを「ちょっといい」とか思っている自分に気がついて、ユーズド加工ファンの気持ちがちょっとわかったような気がした。そうして、しばらく毎日持っているうちに、その古びた見た目に徐々に愛着が出てきて、この傷のついた表面、なんとなくいいじゃん、と思い始めてきた。
ものに傷がついて傷んでゆく過程、というのは、物理的にはエントロピーが増加してゆく方向の変化だと解釈できる。熱力学の第2法則は、断熱系ではエントロピーは必ず増大すると言っている。コップの中に落としたインクは、コップの中に一様に広がって、1箇所に集まることはない。もし宇宙が定常的なものならば、あらゆるものは広がって、宇宙はいつか熱的死を迎える。実際は宇宙は膨張しているし、宇宙が実のところ何なのかわかってないので、熱的死を迎えるかどうかは定かではないと思っているが、少なくとも閉じた系で物質が変化する場合、乱雑さは必ず増大する、ということは正しいらしい。
一方、自分が付けたケースの傷は、一見自然についた傷と変わらないように見えるが、それは、ある意図を持って施された一種の「加工」でもある。ものに付加価値をつけて整形すること、自然の変化する方向ではなくて、インクの一滴を1箇所に集める方向への変化は、エントロピーを減少させる行為であるとも解釈できる。自然に放っておけば、だらりとした丸い形に堆積してしまう樹脂のような物質を型にはめ、スマホケースを整形するのは、明らかにその物質のもつエントロピーを下げている。作られたものに、自分なりの加工をするのは、その延長で、ものの持つエントロピーを低くしていると言ってもよいように思う。ジーンズに独自のシワを付けるのは、そのジーンズの独自の価値を高め、エントロピーを減少させる、加工行為と見るのが妥当ではなかろうか。
スマホケースにつけた傷で、エントロピーは増えるのは減るのか?一見矛盾する2つの解釈の間でしばらく悩んだ。私のファイナルアンサーは、スマホケースの傷は加工なので、エントロピーは減少する、である。ユーズド加工ジーンズもまた同じ。ただ、それをわかりにくくしているのが、「自然の方向への加工」だからである。そう考えると、意図的ではなくても、使っているうちについてしまった傷、と言うのも、そのもの独自の変形であり、その物の歴史を刻むかけがえのないものだと言ってもよさそうに思えてきた。京都の寺田屋の柱に残っている刀の痕は、それで多くの人が訪れるような、偉大な傷であり、歴史が残したかけがえのない加工と解釈すべきだろう。古き柱のエントロピーは、増加するどころか、かなり減っていると解釈したい。とは言え、この解釈は、情報エントロピーの解釈に引っ張られている面があることも自覚している。そのあたり、またいずれ考えてみたい。
2019.8.24(土)
ダメージ加工ジーンズ:フリー素材から