2024/04/14

2020年の今、藤井聡太二冠の活躍で将棋が盛り上がっているが、今ほど将棋ブームではなかった2018年、当時の佐藤名人が羽生さんの挑戦を退けて名人を防衛した年、「羽生善治とAIの時代」というTV番組を見た。その中で当時の佐藤名人がこんなことを言っていて、とても印象に残っている。
勝ち負けを意識しすぎている間は勝てなかった。勝ち負けではなく、対戦相手と最高の棋譜を作り上げようと思ったとき、いい手が指せて、結果として勝ちが付いてきた。名人ならではのすばらしい境地だと思った。
よく、手段ではなくて目的を忘れないようにしようと言うことを聞くことがある。まぁ、確かに当初の目的を忘れて枝葉末節のやり方に拘泥してしまうのは愚かなことだと思うが、でも、佐藤さんの言葉をよく噛みしめてみると、その目的は本当の目的なのかをよく考えたほうがよい。勝負に勝つことは本当の目的ではなく、最高の棋譜を作り上げるという真の目的に先にあるオマケに過ぎないのだ。一見目的に見える表面的な勝ち負けよりも、むしろ棋譜を作るという、勝負に至るプロセスの中にこそ真に取り組むべき価値がある。目的より、むしろそのプロセスに無心に向き合うことが大切なのだ。プロセスを大切にして楽しんでいる人に、わかりやすいけど表面的な目的を思い出せと言うことの方がよほど愚かなことだと思う。
人気のJPOPグループ、SEKAI NO OWARI(サカオワ)に、RPGという人気の曲がある。自分も好きな曲なのだが、その中に、「方法という悪魔に取り憑かれないで、目的という大事なものを思い出して」という歌詞がある。でも、RPGでボスキャラと闘っている時には、普通は、お姫様を助けるという目的など思い出さない。むしろ、どうやってこの困難な相手を打ち負かすか、ということのほうが楽しい(苦しい?)し、そのプロセスにこそRPGの本質的な楽しさがある。あるいは、その闘いを通してアバター(を通して自分)が成長することの楽しみがRPGだと思う。
愛知県民としては、藤井二冠の活躍は楽しみでしかないが、藤井さんのような天才にとっては、若くして「相手と最高の棋譜を作り上げる」という境地を当たり前のように体現しているように思う。自分はもちろん天才ではないけれど、そんな境地に近づけるように生きて行けたらと思う。
2020.10.25(日)
写真:将棋の駒(フリーイラスト)