2024/04/14

前回に続いて、NHKカルチャーラジオの能楽鑑賞入門を聴く、の3回目である。
世阿弥が能楽を大成した当時の話も、印象深く記憶に残っている。世阿弥の父である観阿弥は、奈良を本拠地として活動していた大和猿楽の一座を率いていたが、京都へ進出し、1375年頃、京都の新熊野(いまくまの)神社で猿楽の公演を行った。その時、時の室町将軍であった、当時17歳の足利義満が来場し、舞台で華麗に舞う、当時12歳の世阿弥を目にして、魅了されてしまう。以後、義満が観阿弥・世阿弥親子のパトロンとなったことで、世阿弥は、現在につながる能を大成することができたということだ。
今から650年前に、今も京都の東部に残る神社の一角で、若き将軍と、更に年若き美少年が出会ったことが、現在にまで脈々とつながる芸能の端緒となった。その光景を想像するだけで、何かワクワクしてくる。その時、世阿弥はどんな姿で舞ったのか、義光はどんな表情で世阿弥を見ていたのか。そして父観阿弥は、息子の舞いをどのように見ていたのか。
歴史を面白いと思うのは、こういったエピソードに触れたときである。月並みな言葉かもしれないが、時を超えたロマンを感じる。この、何か心魅かれる感じが、能という芸能への興味となり、また、歴史への興味にもなる。
教養というのは、単なる知識ではなく、この、ロマンを感じる心のことだと思う。教養のある人からは、ほぼ例外なく、何かワクワクする感じが漂ってくる。多分それは、歴史に限らず科学やテクノロジーについても同じで、例えば今この短文を書いているPCの2.4GHzのCPUは、5m先にある掛け時計から出た光が自分のところに届くまでの間に、40回もの計算をする。光は、1秒間に地球7周り半もの距離を進む程の高速だが、それがたった5m進むだけの間に40回!、マイクロデバイスのパワー恐るべし。そして、それを生み出した量子力学にも、更に、そのCPUを作るに至った科学と技術の歴史にも、こんな凄いもの作り出すなんて、人間もなかなかのもの。決して奢ってはいけないが、そこにロマンを感じて、ちょっと胸が熱くなる。
2021.11.11(木)
写真:時計(フリー素材)