2024/04/14

メモを持つようになって、辞書を引く機会が増えた。辞書と言っても、「デジタル」の電子辞書なのだが、、、。私の使っている電子辞書にも、あたりまえのように広辞苑が収録されている。もともと英語用に調達した電子辞書なので、英和辞典を使うことが圧倒的に多く、広辞苑を引く機会はほとんどなかった。せっかく優れた日本語の辞書が手元にあるのに、使う機会がほとんどなくてもったいないなぁと、購入当初から思っていた。広辞苑を引くと言っても、メモに書こうとして書けなかった漢字を調べるために使っているだけなのだが、それにしても、引くようになっただけ進歩したことは間違いない。モレスキンのおかげである。漢字が書けてこそ、教養ある日本人だと思っている。
デジタル全盛の現代、手書きの文字を書く機会がほとんどなかったことに今更ながら気付いた、というだけのことなのかも知れない。今迄は、ちょっとメモする時にも、パソコンでエディターを使って書いていた。文字が書けなくなって当然であった。実は、キーボードもエディターも好きで、それなりにこだわりがあるのだが、それについては、書き出すと長いので別の機会に譲る。ともあれ、手書きで文字を書こうとすると、書けない漢字の多いことに今更ながら気付いた。紙にペンで漢字を書く、というアナログな行為。これこそ、日本に生きている人間として、誇らしく嬉しいことだと、しみじみ感じている。
もう1つ、メモについてのアナログな良さは、メモ帳が、手に持つことのできる「モノ」である点にあると思う。エディタで書いたものは、手で持つことができない。あたりまえのことを言っているので、この感覚を分かってもらうことは難しいかもしれない。それならば、こう言い換えてもよいかもしれない。メモ帳は、書き終わったら本棚の片隅に立てておくことができる。デジタルな記録は、PCの中にあり、せいぜいCDにでも保存すれば本棚に立てておくことはできるかもしれないが、わざわざそんなことする人はいまい。手に持った感触、本棚に立てた姿を眺めること、アナログならではの良さである。それの何がいいの?と言う人もいると思う。あくまで、感触とか眺めとかの、感覚の問題である。あっ、ポニョいいね、と言うのと同じで、分かる人には分かる類の感覚だと思う。
そう言えば、崖の上のポニョも、このデジタル全盛の時代にあって、手書きにこだわって作られたアニメ映画だと、以前、宮崎駿さんを特集していたTV番組で見たことがある。宮崎駿さんも、デジタルの世界になんとなく閉塞感を感じて、アナログに心を寄せる方だとお見受けする。だから、アニメというバーチャルな世界の中にも、手で持つことができる感覚や、心を寄せて眺めたりできるようなリアリティを求めて、アナログの技をあえて使われたのだと思う。ナウシカもラピュタも、宮崎アニメはどれも好きだが、ポニョ、いいネ!
2010.5.23(日)
写真:崖の上のポニョ、映画パンフレットの表紙