2024/04/14

前回のおさらいで、プロプリオセプションについて説明しておこう。プロプリオセプションとは、空間内の身体の状況を知覚する自己受容感覚で、視覚や聴覚といった通常の五感とは異なり、知覚することも目で見ることもできないので、無意識の第六感とも呼ばれている。イギリスの研究者ナタリア・クシルコワさんさによると、このプロプリオセプションを伝統的な五感と組み合わせてトレーニングすることで、人間は自分の能力を拡張することができるようになるかもしれない(WIRED 2021 Vol.43 The World In 2022より)。前回は、観ると聴くという感覚が、単に見る・聞くではない、第六の感覚として類似性があるのではないか、ということを書いた。
通常の日常生活の感覚とは違う少し特殊な感覚というのは、誰しも感じたことがあるのではないか。初めて訪れた場所なのに、前にも見たことある風景だと思うデジャヴのような感覚や、逆に、いつも見慣れた風景が、何かいつもと違う新鮮な風景に見えることもある。メモを持ち歩き始めて13年目になるが、今までに数回、そんな感覚を味わったことがあり、その時の感じを忘れないようにメモしている。
名古屋には、全国でも有数の大規模な栄地下街がある。以前、その地下街を歩いていた時、今まで感じたことのない特殊な感覚を感じた。それは、見えているもの全てとつながっている感覚、周りにいる人やすれちがう人の誰ともつながっていると思える感覚、人だけでなく、店に置いてあるコーヒーカップや、地下道の照明や壁に至るまで、そのものについて良く知っていて、つながっていると思える感覚。文字にすると、単なる幻想のようにしか聞こえないが、その時はほんとうにそう感じた。とても良い感覚で、再現できるなら、生きている間中いつでも感じていたいような感覚だったが、残念ながら、それ以来一度も同じような感覚を味わったことはない。
別の例では、会社からの帰り道、低い空に浮かぶ大きな満月を見たときに感じた今までにない感覚がある。それは、今、自分がここにいることが、あたりまえなのだけど、全くあたりまえでない、奇跡的だと思えるような不思議な感覚。ここから38万キロメートル彼方に浮かぶ、月という星が存在する不思議、自分という生物がこの地球に生きていて、その月を見ている不思議、138億年前にこの宇宙ができたという不思議。これも、言葉にするとありふれているように思われるかもしれないが、自分の身体を起点とした感覚としてそれを感じるとき、本当に不思議で、奇跡的だと思ったのだった。
これに似た感覚が他にもいくつかあるが、ここらへんでやめておく。これらの感覚が、ナタリアさんの言うプリオセプションと同一ではないと思うが、単に五感で感じたのではない、どこか身体の中の知らない場所から湧き上がってきたとしか言いようがない感覚に、五感を超えた第六感的なものとの共通点を感じざるを得ない。前回の観える感覚にも近い。
空海は、四国の山々で修行をしているとき、大日如来が自らの体内に飛び込んで来るという特殊な体験をしたという。偉大な宗教家の体験なので、何の修行もしていない自分が感じたような感覚などとは比べるべくもないが、感覚の質としては何か共通点があるようにも思うし、程度の差こそあれ、誰しも似たような身体起点の体験をしているような気もする。これからも、こういった良い感覚を逃さず覚えておけるよう、メモはマメに書いておくことにしよう。
2022.2.6(日)
写真:筆者撮影の夕景に月の写真(Wikipedia)を合成