Deep Breath

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仏像の感覚・その2~仏像の息

time 2010/08/06

 ブッダは、ひたすら呼吸に集中することで悟りに至ったという説を聞いたことがある。確かに、パキスタンのラホール美術館にあるという、釈迦苦行像(写真)は、横隔膜が見えるような仏像で、初めてその写真を見たときには、そのやせ細った横隔膜人間のようなブッダの姿に、今迄見慣れた、ふくよかな仏像とは異質なものを観て、不思議な気分になった。

仏像を良く観ると、たいていの像では、肋骨の形状は不明確だが、肋骨と腹部の間には、線と言うか、溝が彫られているものが多い。もし、胸部と腹部の境目がなく、のっぺりとした像では、人間らしくもないし、見た目も美しくもない。横隔膜という解剖学的な組織が意識されているかどうかは別として、仏像における胸部と腹部は、構造上異なる部分として認識されていることは確からしい。

一体、仏像は、息を吸っている瞬間のものか、吐いている瞬間なのか、それとも、息を止めているところを写し取ったのかということを疑問に思っている。仏師に聞けば分かるのかもしれないが、自分なりに答えは考えている。多分、正解は、その仏像毎に異なると言うものだろう。多くの仏像は、ゆったりと息を吐いている像と観るのが妥当な気がする。特に、静かに微笑んでいらっしゃる観音菩薩様や、何かを語りかけているような薬師如来様など、息を吸っている瞬間には見えない。おだやかに息を吐いている像と観たほうがこちらの心も落ち着く。

一方で、激しく悪をけちらす明王などは、一杯に息を吸い込んだところのように見えるものもあるし、運慶の仁王像のように、一杯に吸った後、「ハッ」と気合を放った瞬間のように見えるものある。私の好きな東大寺戒壇院の広目天は、「ほんとうにそれでいいのかね?」と問いかけているようで、深い呼吸の間に、くっと小さく息を止めた瞬間のような緊張感を感じる。決して息詰まるような感じではなく、とても自然なのだが、まるで自らの呼吸で、宇宙の時を止める力を持っているようなパワーを感じる。

そもそも、仏様は超人的な存在なので、息などしてなくてもよいのかもしれないが、ブッダは間違いなく実存した人間だったので、仏像のモデルは、やはり人間と見るべきであろう。人間であれば、生きている間、必ず呼吸しているので、仏像も、吸う、吐くという呼吸のサイクルのどこかを写し取った像として見てもおかしくはないだろう。

なかなか、本物の仏様と対面する機会はないが、仏像の写真集などを見ながら、仏様のようにゆったりと息をしていたいものだと思う。仏像をしみじみ観ていると、ゆっくりと深い息をするこが、世の中と自らを正しく観るための基本だと感じさせてくれる。
2010.8.6(金)
写真:釈迦苦行像(日本100の仏像より)

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Toshi's Profile

会社員(製造業・雇用延長)。元SE、元大学非常勤講師、元ロルファー。DIYと散歩とメモが趣味。Moleskineを持ち歩いている。愛知県岡崎市在住。
toshi@ueba.sakura.ne.jp
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