2024/04/14

イオンショッピングモールは、行けば大抵何でも揃うので、買い物ではよくお世話になっている。休みの日は車を停めるにも苦労する程の混雑ぶりで、日本はやはり豊かな国なんだな、とか思ったりする。でも、先日、いつも行く地元の店舗ではなく、少し離れた街のイオンに行く機会があって、かの地のイオンの中を歩いているとき、いつも行く地元のイオンを歩いているのと全く同じだと思って、何かとても違和感を感じた。
しばらく、その違和感を言葉にできなかったのだが、その時のことを思い出して考えているうちに、その違和感は、多様性の欠如と言うと、割合とぴったりすると気がついた。近所のイオンでも、遠く離れた場所のイオンでも、全く同じような店舗が並び、同じような服を着た人たちが、同じようなモノを食べ、同じようなものを買っている。モールには一見多様な店が並んでいるように見えるが、どこに行っても同じ店という意味では、多様性の対局にある。以前、シドニーで知り合ったマレーシア人も、イオンは便利でいつも利用していると言っていた。多分、マレーシアのイオンでも、家の近くのイオンとよく似たモールなのだろうと思う。
短期間でも外国に住んだことがある人なら、日本と同じようなものが売っていて、日本に居るときと同じようなものを食べたり買ったりできる場所があると、とても安心するという気持ちは分かってもらえると思う。そういう意味では、イオンのように世界中どこでも同じようなものを売っている店には、場所を超越した価値があることは否定しない。でも、多様性の信者である自分にとっては、そのあまりにも画一的なモールは、何かが違うとささやく声が聞こえてくる。
10か月ほど前に、民芸の話題を取り上げたことがある(QOL・その3~オープンソースと民芸)。自分の暮らしを心地よいものにしようという気運があって、最近、民芸が見直されているという話題だった。民芸は職人の手仕事で生み出される美しいものであり、工場で生産される無機質なものや、あるいは、職人ではなく芸術家が作るような、生活用品ではない芸術品と対比される。あくまで生活に使う、使い勝手の良い美しいものを民芸品と呼ぶ。
都会や観光地で、いわゆる民芸店という店を見かけたことがある。もちろん、本来の民芸品を丁寧に扱っている店もあるが、ステレオタイプに全国どこでも同じような民芸品を売っているような店もあるように思う。これが、全国どこでも同じショッピングモールに重なって見えて、ちょっと危機感を感じた。民芸のイオン化。もし民芸がブームであるなら、そんな傾向があるのもしかたのないことなのかも知れないが、ちょっと悲しい。民芸は、土地に根ざした、端正な手仕事の成果であってほしい。最近できた、近くの街の店とよく似たちょっとお洒落な店ではなくて、そこ以外にはない、100年続く古い木造のガラスケースのある店で丁寧に物色してみたい。
ショッピングモールに売っているものを個性がないと言うつもりは全くない。それは、世界中ほとんど同じように、便利で綺麗で安心なものを売っているという、ある種、それを個性と言っても全くさしつかえない。多様性がないとは言ったが、世の中の多様性の一端を担ってはいる。でも、民芸は、ショッピングモールのようにはなってほしくない。ほんとの暮らしの多様性や、本物の手仕事の多様性をなくさないようにしたい。それは、作り手側だけでなく、自分たち、使う側の責任でもある。
2019.11.30(土)
写真:イオンモール岡崎 Wikipediaより