2024/04/14

平家物語は敗者の文学だと、以前、新聞の日曜版特集で読んで、なるほどと思ったことがある。戦記物なので、勇ましい戦の文学と思われがちだが、実は敗者目線で、人間の弱さなどを描いた文学なのだと。そもそも源平の戦いでは、平家は敗者なので、題名からして敗者を描いていることを明言している。平家物語編纂の動機も、戦いで死んだ多くの人の魂を鎮める、鎮魂にあると言われている。
能を大成した世阿弥が生まれたのは、壇之浦の合戦から200年ほど後のこと。平家物語も、琵琶法師によって全国で語られ、多くの人々の間で人気を博していた時代ではないかと想像する。文化の中心であった京都では市民の間で共通の話題のネタになっていただろうし、将軍の庇護を得て芸能の英才教育を受けた世阿弥などは、当然、その物語に触れ、大いに触発されたのではななかろうか。
そう思ったのは、能楽鑑賞入門の中で、以下のような話を聞いたからである。能の演目の種類の1つに、主に戦いをテーマにした「修羅能」という分類がある。その中で、戦いに勝った側を描く「勝修羅」と負けた側を描く「負修羅」の2種類があるのだが、圧倒的に「負け修羅」の演目が多いと言うことだ。忠度、敦盛などの平氏だけでなく、源氏方の頼政なども負修羅の演目になっていて、宇治川の戦いで壮絶に戦い散っていった姿が描かれている。能もまた、敗者の無念こそが、人間の奥深さを表現できると思っているようだ。
源義経がシテとして登場する屋島は、勝修羅に分類されているが、勝修羅と言えども、義経は最期は兄頼朝に討たれる悲運の武将のイメージが強く、決して勝った人のイメージではない。更に、修羅能では、例え戦に勝利しても、戦いに身を投じたことで死後、修羅道に落ち、そこで戦い続けなければならない苦しみを強いられる人として描かれている。
日本文化特有と言われる「侘び」「寂び」もまた、何かが欠けているとか、不足しているとか、満たされない状態に妙味を感じる美意識のことで、戦に勝った側より、負けた側により深く共感する心のありようと似ている。満月より、半分雲に隠れた細い三日月により深い美しさを感じる心。能の演目に負修羅が多いことも、こんな心の動く方向に関係しているはずだとしみじみ思った。
2021.12.11(土)
写真:屋島(Wikipediaより)