2024/04/14

前回の続きで、NHKカルチャーラジオ・芸術その魅力の「能楽鑑賞入門」を聴いて考えたことを書く。
恥ずかしながら、この講座を聴くまで、能が仮面劇であるということを認識していなかった。言われてみれば、確かに能舞台にいる役者さん(能楽師という)は、面をつけていたような気がする。ちなみに能の世界では、能面は単なる仮面ではなく、特別な意味を持つものなので、面と書いて「おもて」と呼ぶとのことだ。入門講座の中では、能面の役割は3つあると言っていた。
1つめは、仮面劇を演ずるための道具としての面。2つめは、役者が能面を通して神とつながるための装置としての面。3つめは芸術作品としての面。これまで、このブログの中の道具考では、実用品と芸術品の境界のあいまいさや、実用を極めたところに見えてくる芸術性や身体感覚みたいなことを書いてきたが、能面の2つめの役割、神とつながる装置、みたいなことは考えたことがなかった。まぁ、広くとらえれば、装置なのだから、神とつながるための道具と言い換えても意味は通りそうだが。
神とつながると言うと、ちょっと大げさかもしれないが、面をつけるということは、いっときその面の存在になる、とうことだろう。小さいころ、お祭りの屋台で買ってもらったウルトラマンのお面を付けて、本当に怪獣を倒せると思った感覚は誰にもあるのではないか。その高級版と思えば全然納得できる。(女子はウルトラマンになったことなどないかもしれませんが。いぇ、別に女性差別ではありません、全然。男子は幼いものなのです。あ、これも男性差別か、面倒くさいな。)
更にこんな興味深い話もあった。それは、能で面をつけるのは、主に「シテ」と呼ばれる主人公的な役の人なのだが、「ワキ」と呼ばれる助演役は通常面をつけず、素顔で演じる。素顔のことを「直面」と書いて「ひためん」と呼び、素顔も面の一種のように呼ぶことである。考えてみれば、自分の顔は、物理的には1つしかないが、父親としての顔や、職場での立場上の顔、町内会のメンバーとしての顔、病院に行けば患者としての顔など、ひためんにも色んな顔があるので、面の一種としてとらえることも、不自然ではなかろう。
美術館か博物館に展示されている印象しかなかった能面だが、道具としての面という視点は色んなことを気付かせてくれる。神とつながるための道具、やはり、単なる道具以上の何物かに違いない。素顔も「ひためん」という面であるなら、その面を通して神とつながることはできないものか。
2021.11.3(水)文化の日でお休み。
写真:ウルトラマンのお面(Amazonの広告)