2024/04/14

そう考えると、”自分のカラダを使いやすいように整えておくこと”は、DIYだと言ってさしつかえない。「身の回りのも」のと、自分の「身」の間には、もちろん明確な境界はあるものの、DIYと言うコンセプトでは、両者を区別する必要性はないし、区別する意味はないように思う。最も分かりやすい例は、爪を切ることであろう。爪は身体の一部でありながら、硬くて道具的な使い方をされる、手とハサミのような道具との中間的な意味合いをもつ器官である。爪を伸ばすのが趣味の人は別として、爪切りで爪をきれいに切って手入れすることと、自分の着ている衣服を繕ったり、自分の部屋や家を掃除したり、水道の蛇口のパッキンを交換したりすることの間に、明確な違いを見出すことはできない。
手前味噌と言われるかもしれないが、前段のようなコンセプトからすると、ボディワークは究極のDIYだと言える。自分の体を自分でメンテナンスする、これをDIYと言わずして、何をDIYと言うのであろうか。まぁ、あまり概念を広げすぎると、では、漢方薬を飲むのもDIYなんてことになりそうだが。もっともそれを言うなら、自分で薬草を育てて調合すればの話であるが。
私は、セッションの際には、クライアントの方自身が自分の体を自然に制御する感覚を身につけることを手助けするように心がけている。もちろん、筋膜のテンションを適正に解いて、バランスしてゆくことが重要な作業なのだが、そのためにプラクティショナーは、ともすると、自分がクライアントに働きかけることばかりの一方通行になりがちである。しかし、そんな場合は、たいてい姿勢も呼吸も歩行もあまり改善されない。クライアントの方自身が、自分の体に気付き、よりよい感覚を身につけてゆくことが、将来にわたってその人本来の無理のない姿勢と動作を改善してゆく。そんな気付きを引き出すのがロルファーの重要な仕事だと思っている。
自分の体をDIYする、と言う考え方からすると、「食べる」ことは、ある意味で本質的にDIYだと言えるかもしれない。なぜなら、自分の体は自分の食べた物からできているからである。自分のものを自分で作ることがDIYとすれば、食事も究極のDIYと言えそうである。その意味では、主婦というのは、自ら作った料理を食べるのであるから、私の言い方では、正統派のDIYerである。自分の体をいつも気持ちよく手入れしている全ての人がDIYerであり、主婦も食事を作っている限りにおいて、立派なDIYerなのである。
2010.2.3(水)