2024/04/14

プロプリオセプション(PROPRIOCEPTION)。この言葉、聞いたことがない人がほとんどだと思うが、WIRED 2021 VOL.43 The World In 2022 のP.31に、イギリスのオープンユニバーシティーで読書と子供の発達について研究している、ナタリア・クシルコワさんという人が、この聞きなれない事柄についての記事を書いている。
その記事では、プロプリオセプションとは、空間内の身体の状況を知覚する自己受容感覚、と説明されている。視覚や聴覚といった通常の五感とは異なり、知覚することも目で見ることもできないので、無意識の第六感と呼ばれている。ナタリアんさによると、このプロプリオセプションを他の伝統的な五感と組み合わせてトレーニングすることで、人間が自分の能力を拡張することができるようになるかもしれないと言うことだ。
第六感と聞いて怪しげなテレパシーのようなものを思い浮かべた人がいたら、そんなものとは全然違うので、お間違えなく。きちんと研究されている分野だし、WIREDが2022年にトレンドが来る「科学」として取り上げているものだということからも十分信用できる上に、人間の能力を拡張するという響きに、とてもワクワク感を感じる。
この記事にピンときたのは、自分ももう長いこと、これと少しだけ似たことを考えてきたからだ。このBlogを始めたのが2009年、メモを書いて見直す生活に目覚めたのが2010年。メモを書き始めた最初の頃に、こんなことをよく書いていた。『先の見えない混迷の時代と言われて久しいが、そんな世界で生きてゆく能力として、「見えないものを観て、聞こえない声を聴く」ことがとても大事』みたいなことだが。
漢字の「観る」は、単に目に映るものを見るのではなく、その奥にある本質的なものを観ることを言う。自分も観えているかと言われると、ほとんどのことは見ているに過ぎないので、観る力を養いたいと思っているし、自分のことだけでなく、世の中に観える人が増えれば、きっと世界はよくなると思う。
英語で「観る」は何と言うのか、ちょっとググってみたが、seeとかwatchとかlookとか出てきて、全然ダメ。そういえば、わかる・納得するという意味で、”make sense”と言うが、「感覚」を得るという意味では、ニュアンスがちょっと近いようにも思う。本質を納得する感覚を得ること、これが観える感覚に近いような気もするが、やっぱりちょっと違う。英語には、観ると同じような概念を一言で表現する単語はないようだ。あ、いや、それがPropreoceptionかも知れないと思ったのが、この小文を書く動機なのだった。
プロプリオセプションの感覚は、自分の身体がこの世の中に存在する感覚のことで、筋肉や関節、内臓の感覚などが統合されたものらしい。だから、自分が言った「観る」感覚とはだいぶ違うののかもしれないが、視覚や聴覚などの表面的な感覚の奥にある、何か大事な感覚という意味では類似性がある気がする。それが、身体を起点にしたものだということに気付いて、なんだか、ちょっとだけこの世の中と人間が観えたような気がした。
2022.1.30(土)
写真:WIRED 2021 Vol.43 The World In 2022 の表紙(自宅で撮影)
コメント
[…] (※)プレプリオセプション:2回前の回(その1)を参照(http://ueba.sakura.ne.jp/?p=682) […]
by プロプリオセプション考・その3 ~ アバターの身体感覚 | Deep Breath 2022年2月13日 1:35 PM