2024/04/14

これは、地球と太陽の行く末について、科学の世界ではほぼ確からしいと予測されているシナリオだが、私たちは、こう言ったことについて知らないことが多い。太陽の一生は、太陽の構造と、宇宙にある他の星々をたくさん観測することで、ほぼ間違いなく起こるであろうと予測されたことであり、少なくとも明日の天気予報より当たる確率は高い。従って、地球が太陽の惑星として存在しているのもあと50億年ぐらいと言うことになる。50億年後のことなど、知らなくてもよいし、知る必要もないかもしれないが、それが自然の掟だと知れば、なんとなく謙虚な気持ちになってくる。
更に、前出の本に依れば(P.157)、人間の生き方次第だが、人類が地球環境を変えないと仮定すれば(既にその仮定は崩れているが)、太陽エネルギーの増加に伴って、地球では、大気二酸化炭素が減り続け、5億年後には植物が光合成をすることができなくなり、生物圏が消滅すると予測されている。だから、太陽に飲み込まれる前に、地球上の生命はとっくに絶滅していることになる。ただし現在、人間が化石燃料を使って大気中の二酸化炭素を増やし続けているように見えるので、この先、この惑星がどうなるかは、太陽が明るくなることの影響だけでは語れない。
5億年とか、50億年とかは、確かに気の遠くなるぐらい長い時間ではある。しかし、永遠と一瞬とは、どこかでつながっている気がする。私がまだ若かった頃、ヴォエジャーが撮影した、木星の写真を見たとき、不思議に感動したことを覚えている。よく、スナップ写真の右下に、橙色の文字で、何年何月何日何時何分と印字されていることがあるが、その木星の写真も、その時、その一瞬の木星の姿をとらえたに過ぎない。しかし、その姿は、永遠に変わることのない、偉大な星の時間をとらえたもののように感じた。永遠と一瞬が混在する不思議な世界をそこに見たような気がして、新聞に載ったその写真を前にして、しばらく感動していた記憶がある。
「人間50年、下天のうちを比ぶれば、夢まぼろしのごとくなり」とは、織田信長が好んだという一節。信長サンも、そんな、永遠と一瞬の不思議な感覚を感じていたのではないかと思う。信長も50年と言い、太陽もあと50億年と言う。今、50という数字はキーワードなのかもしれない。私も、四捨五入すれば50才、もうそんな歳か、、、。いや、50才まではまだ数年あるし、まだまだやれるぞ。太陽を見習って、ガンバロー、アラフィフ世代!
2010.6.29(火)
写真:Voyager2号が撮影した木星
http://photojournal.jpl.nasa.gov/catalog/PIA00343