2024/04/14

その折に、「eco検定公式テキスト」を購入して勉強した。よくできている教科書だとは思う。特に、これまでまとまった知識なく、「環境問題」と言っていたことの具体的な中身が、広く浅く解説されていて、全般を効率よく見渡すことができる。主なものだけでも、大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音・振動・悪臭、都市型問題(ヒートアイランドなど)、廃棄物、化学物質、地球温暖化、オゾン層破壊、生物多様性、自然環境、酸性雨、森林の減少、砂漠化、資源枯渇と、盛りだくさん紹介されている。まだ他にもあるのだろうが、これだけを一通り眺めるだけでも、環境問題についての超概観はできる。
しかし、勉強する目的は、知識を得ることにはない。真に価値あることは、やはり教科書には書かれてはいない。逆に、本に書かれていないことを自ら考え、感じることに価値がある。それは、環境問題の根っこ、についての感覚であった。環境問題の根っこは、今の社会を覆っている、ある雰囲気、ケーザイを優先し、生き物としての人間と言う視点が欠落した社会、ケーザイ的に成功することが価値ある生き方だと多くの人が信じている社会、、、。モット速く、モット便利に、こういった価値観が、実は地球に多大な負担をかける真の原因であるとの確信を強くした。
にもかかわらず、教科書の記述は、こうだ。「人間の生活スタイルが問われているのかもしれません」ーーかもしれません??「しかし、これでは経済の停滞を招く心配もあります。」ーー経済の停滞??これらの表現は、私にとっては非常に歯痒く、物足らない。こう書くべきだ。「人間の生活スタイル、その元となる、生きることに対する考え方・哲学が真に問われているのです。」「経済はこれ以上拡大すべきではなく、持続可能な均衡へと向かうべきです。」と言い切らねばならない。こういった感覚がなければ、環境問題をいくら分析したところで、課題に対して本当に取り組み、改善してゆく行動は出てこない。
政府も環境問題への対策を打ち出してはいて、それらの取り組みが、効果がないとは言わないが、何か胸に響かない、頭だけで考えたことをやっているに過ぎないという印象を拭えないのは、こうした基本的な哲学が不在だからだと思う。環境問題が大切だと言いながら、高速料金を無料化するというような矛盾。もうケーザイ優先はやめよう、人間など、ゴキブリに比べれば新参者の生き物、謙虚に生きようと言うことを、アタマでなく、体から感じて政策を作ってないからだと思う。
これは、生き方の問題なので、他人からとやかく言われるのは心外である。特に、政治が主導することは問題が大きい。しかしながら、今、環境問題を考えると、やはり、「ヒト」と言うものの生きる方向について、想いを巡らさざるを得ない。事実、世の中には、この感覚を持って、課題に取り組んでいる人々も多い。私はそう言った人たちの活動にとても勇気付けられる。次回からはそうした人たちを紹介して行きたい。
2010.2.15(月)