2024/04/14

nが負でない整数の時、S(n)について、
1.S(0)が成立する
2.任意の負でない整数kについて、S(k)が成立すればS(k+1)が成立する
の2つを証明すれば、全てのnについてS(n)が成立することを証明したことになる、
というものである。
この方法の肝は、出発点のゼロと、局所的に見て隣り合った2つの式、S(k)とS(k+1)の関係のみに着目すれば、全体についてあることが言える、というところにある。
高校生の頃には、単にうまい考え方だな、と感心しただけだったが、ある程度人生経験を経て、若干苦労もした40代になって、この、「帰納」という考え方が大切だと思うようになった。世の中きちんと整合した原理で成り立っている訳ではなく、生きることは、日々隣り合う明日へとつながってゆく帰納的行為なのだと思うようになったと言うことだろうか。だから、私はこの10年ぐらい「帰納」を重要な指針として生きている。
振り返ってみると、30代ぐらいまで、私の生き方が「演繹」的だったとの反省があるように思う。若いときに物理学が好きだったのは、自然を統べる演繹的な法則に惹かれたのだと思うし、それが美しいと思ったのだった。今でも物理は好きだし、単純な法則がこの世界を形作っていると思うと、人知の及ばない自然の偉大さのような物に心惹かれる。それは、私が確かに持っている一面だと思う。そしてコンピュータを思い通りに動かすことに費やした何年かの日々の後、改めて、生きている今、というこの時間の積み重ねこそ本質だということに、今更ながら気付いたということなのかもしれない。
少し話は飛ぶが、最近、池上彰さんの「そうだったのか!」シリーズを読む機会があり、帰納を思い出した。中国、アメリカ、現代史と読んでみて、世界の現代史の大きな部分がイデオロギーの対立にあったことを再認識した。と同時に、この対立は、ある意味で、演繹と帰納の対立ととらえることもできると直観した。何か統一された絶対的に正しい原理があって、世の中はそれに従って動くのだとする演繹的な考え方、これが、科学から離れて、イデオロギーになったとき、共産主義と結びついたように思う。しかし、ベルリンの壁が崩壊した時点で、やはり、国家や生き方に演繹的な考え方はなじまないことが明らかになった。自由や平等は、帰納的に作り上げてゆく以外になく、帰納が正しく機能するような枠組み、仕組み作りこそが大切だと思い至った。民主国家は、帰納の精神を思い出すべきである。
書いているうちに、身の丈に似合わず国家の話になってしまったが、これは私の本意ではない。次回はもう少し身近なところに立ち戻って帰納と演繹の間を彷徨ってみたい。
2011.12.20(火)
写真:壁を打ち壊すベルリン市民 ドイツ大使館東京 ベルリンの壁崩壊 フォトギャラリーより