2024/04/14

Rolfing(ロルフィング)というボディワークを施術する人をRolfer(ロルファー)と言うが、私は40代の後半に、数年間Rolferを職業としていた時期があった。Rolferを名乗るためには、認定スクールを卒業する必要があるが、認定コースの最初の段階で、筋肉と骨の名前を随分と覚えなければならなかったので、解剖学の本などで勉強した。今思い出すと、一生懸命覚えた筋肉と骨の英語名がとてもなつかしい。
筋肉というものはもちろん体を構成する1要素であって、身体を動かすという機能を実現しているものである。例えば肩甲骨周辺の筋肉でも、三角筋や僧帽筋などのメジャーな筋肉の名前は知っている人が多いかもしれないが、肩甲骨と頸椎をつなぐ肩甲挙筋とか小菱形筋などのインナーマッスルを知っている人はほとんどいないだろう。解剖学の本を見ていると、よくもこれだけ細かく筋肉を分けて、その1つ1つに名前を付けたものだと感心する。解剖学者はオタクだと言っても誰も反対できないと思う。
ものに名前をつけるということは、それを他のものと分けて、それと特定するため、という側面が大きい。つまり、名付けるということは、他と区別するために「分ける」ことであると言える。世の中を細かく分けてゆく作業、それが名前を付けることと言い換えてもよい。
一方、「筋肉」という言葉を考えてみると、それは人で言えば1,000個近い個別の筋肉の総称であると同時に、筋繊維を筋膜が取り囲む構造や、アクチンとミオシンという組織が電気的な力でスライドすることで動くという原理までを含んだ言葉である。目に見える筋肉というモノを表すと同時に、多くの概念を含んだ、いわば「統べる」言葉だと言える。
ものの名前には、区別して特定する、「分ける」という側面と、いろんなものや事を合わせて統合する「統べる」側面がある。さっき、「筋肉」という言葉は、多くの個別の筋肉をまとめる、統べる言葉だと言ったが、筋肉は、骨や血管とは別の「筋肉」という種類のものだという、分ける側面も当然ある。大抵の言葉は、「分ける」と「統べる」の間の中途半端な場所で漂っているのだ。
2020年11月、分ける言葉を発し続けた某国の大統領は、もう少し価値観を共有できそうな次期大統領に選挙で敗れた。次期大統領は、分断ではなく結束をめざす、赤い州や青い州はないのだと言ったが、これだけ深く刻まれた溝を埋めて結束することなどできるのだろうかと、太平洋の向こうにある遠くて近い国のことではあるが、その行く先をつい案じてしまう。どうか、変な結束のしかたをせずに、世界がよい方向に向かえるような指導力を見せてほしいものだと思う。
2020.12.30(水)
写真:肩甲骨周りの筋肉の一部